店長は日本の陶磁器や西洋の陶磁器が大好き。
特に手作りのものは、土と炎の芸術と言われるだけあって、手に取ると人のぬくもりが感じられ、幸せな気持ちになります。将来このショップにも、素敵な陶磁器を展示販売したいと考えています。
そこで、陶磁器について少しずつ、勉強していきたいと思います。お客様もよろしかったら、お付き合いくださいね。
①日本の陶磁器 「備前焼編」

数年前の夏、私は岡山県備前市を訪れたことがあります。始めて見る瀬戸内海のおだやかな美しさに魅せられました。どちらかと言うと、上釉をかけず、ひたすら窯の中で焼き〆め、自然釉の景色を楽しむ備前焼は男性的な力強い焼き物です。だからそのようなおだやかな環境で焼かれているとは、想像できませんでした。しかし、備前焼のなかにも、自然のやさしさや女性的な繊細さを秘めているものも見かけられます。焼き物の性格と生産地の環境とはあまり関係がないかもしれませんが、その地を訪れたことは、備前焼を理解するうえで役に立ちました。

 さて、まず最初に、備前焼の歴史をひも解いてみましょう。
 備前地方では、平安時代から実用品が焼かれていました。また『延喜式』という書物に朝廷や官衙へ貢納するための壺、甕、椀、杯なども作られていたことがみえています。

 鎌倉時代には、「一遍上人絵伝」の福岡市の段に、備前焼の甕や壺が商品や容器として描かれています。 福岡の市とは、今の備前市に開かれていた市のことです。現在のフリーマーケットのような簡素な市に、ごろごろと大きな備前焼の壺が無造作に置かれている様子が描かれています。

   室町時代になると、大量生産が始まり、窯は大きいもので40メートルに達するものも現れました。よく焼締まり丈夫な甕、壺、すり鉢は日常生活になくてはならないものだったようです。

 安土桃山時代には、備前焼が茶陶として利用されるようになりました。たとえば、 秀吉は大変な備前焼愛好家で、天正15年(1587年)北野大茶会にも備前焼の建水・花入れを使用しました。また、自分の埋葬棺としても備前焼の石甕を使わせたということです。

   さらに、古田織部が茶の湯の指導者になると、彼の好みが反映し備前焼の作風が変わり、箆目をつけたり、牡丹餅や桟切などの窯変をあえてねらうことにより、わらかさや華やかさが加わりました。

 江戸時代には、人々の好みが小奇麗で上品なものへと向かったため、備前焼は衰退します。布袋や動物の置物や香炉、香合等が焼かれ始めたのはこの頃でまた、すり鉢や徳利が人気商品でした。

 明治時代には、上下水道、道路、鉄道の下を通す水路などに使用される土管とレンガが主な生産品となっていました。備前焼で土管を作っていたなんて、驚きですね。

   第1次世界大戦後、新興富裕層がうまれ、日本の文化の再評価が行われ、桃山時代の名品を収集する動きが起きました。その頃備前焼の芸術的価値を高めようと活動を開始したのが、金重陶陽です。

   第2次世界大戦後から平成にかけては、すぐれた陶工が多数輩出し、根強い人気を保ち続けています